家の隣に工房があっていっつもそこで勉強してます
工房では毎日母が作業してますけど音とかはそんな気になりませんし
温度とか湿度の管理がしっかりしてるからむしろ過ごしやすいのでして
受験めんどくせって時期でしたね
家業を継ごうかどうかちょっと迷いながらもまあその日もしょうがなく数学のお勉強をしておりました
インターホンが鳴って母さんがドアを開けて
私もちょっと手を止めてそっちを見ました
お客さんが来たんかなと
すごく痩せた坊主頭の男の子
私はその子を知ってました
三年前に知り合った、ちょうど同い年のくそがきです
やつは私の顔を見てヘラッと笑いました
私は正直笑えなかった
「なんでうちに……」
訊かなくてもわかるだろってやつは言いましたし私も訊くまでもなくわかってたんですけど
知り合いの子かと母さんは私に訊きましたので私は黙ってうなずく
そうなんだ、と母さんはちょっと寂しそうに言ってから
やつを工房の奥の応接室に連れてく
私は一人でぽつんと取り残される形に
ある日の体育の時間、鉄棒から変な落ち方をして足首を折りました
痛すぎて失神して次に目が覚めたら病院で寝てました
目が覚めたらやっぱりまだめちゃくちゃ痛くてびっくりするくらい汗かいてた
足はアホみたいに痛いわ一日中ベッドの上で退屈だわ
どっちか片方ならまだいいんですけどね
痛いうえ退屈だと何も手につかないからどうしようもない
5日やりすごしてから手術をうけました
あの手術ってのもまた嫌でしたね
足切って中に金属仕込むだなんて……
麻酔かかってるから大丈夫っつってもさすがにビビりました
麻酔がとれたころに医者が松葉杖をくれました
別に何があるわけでもないんだけど、約一週間ぶりに動けるってそれだけで嬉しいもんで
私は慣れない松葉杖でひたすら院内を歩いた
やつに会ったのはそのときでした
やつはガラの悪そうなおっさん三人と喫煙所兼の談話スペースで麻雀やってました
どう見ても副流煙にまみれて麻雀って感じでもなかったんですけど
どうも様子を見ているとボロ勝ちしているのは三人のおっさんではなくやせっぽちの男の子のほうなんですね
でもその日は話しかけられずに終了
いずれ一人でいるところを捕まえたいと思いながらその日は寝ました
どうせならちょっとアウトローっぽい人と関わりたいって
っていうのも手術後動けるようになってから看護師がやけにうるさくてですね
「小児病棟に同い年くらいの子がいるから遊びに来ないか」
とか
「あなたくらいの歳の子が来ると小さい子たちが喜ぶ」
とか
いや、いいんですけどね、
押しつけがましく言われると、正論だったとしてもどうにも聞く耳持てなくて
昔からの悪い癖だとつくづく思います
基本的に一人だったけど別に好んで一人だったわけでもなくて
そんなときにやつを見かけたんです
話を聞いているとどうも看護師も医者もやつには手を焼いてるようで
そりゃそうですよね、小学生のガキが一見すると堅気かもあやしい大人と麻雀やってんですもん
それも賭けてんだって話だから余計です
「タムラくんはねえ……」
看護師はどうにも話題にしたがらない感じ
やつの名前はタムラというのでした
二日ほどしてチャンスがめぐって私はやつに話しかけました
やつは一人で談話室のテーブル陣取って、
缶コーラ飲みながら『チェックメイトの技法』という本を読んでました
「誰お前?」
やつは本からちょっとだけ目を上げて言いました
「見りゃわかるだろ」
やつが読んでいたのはチェスの本でした
「麻雀だけじゃなくてチェスもやるんだ」
「なんでもやるけどチェスが一番だな
ていうかもっかい聞くけど誰お前?」
私は自分の名前を言った
でもやつが言いたいのはそういうことではなかったらしい
「暇つぶしにつきあわせるために話しかけたなら他をあたってくんないかな」
ずいぶんな言い方をされて私もちょっとムッとする
思わず勢いづいて
「バカ言わないで、あんたの退屈しのぎにつきあってやるっつってんのよ」
なんて言ったけど声が震えていたかもしれない
やつは品定めするみたいに私の顔をじろじろ見た
「……オセロかトランプ」
やつは呆れた顔をしたけどちょっと考えてから
「それなら一回チャンスやるよ、退屈しのぎになってもらおうか」
と言って車椅子を動かしはじめる
私はその後ろを松葉杖でついていく
ちょっとしたデザイナーズマンションかってくらいきれいな個室だった
窓からは何もない街がよく見えた
やつは棚からオセロボードを引っ張り出す
テーブルに置いたオセロボードをはさんで私たちは座った
「オセロなんて五年ぶりくらいだ」
なんて言ってたくせにタムラはボロクソに強かった
というより、やってるうちにどんどん歯が立たなくなってった
たぶん、あるゲームのコツをつかむ勘みたいなものがそもそもずば抜けてんだと思う
角をとればオセロは有利になるって言いますよね
だから最初から二つ角をもらった状態で始めたんだけどそれでもありえないくらい負けた
タムラにはどんなに優勢だろうと容赦というものがなかった
「いい暇つぶしになったろ」
タムラに笑いながら言われて私は死ぬほど悔しがりながら自分の病室に戻った
看護師が具合でも悪いのか心配したけどそんなんじゃない
私もそれなりに負けず嫌いだし意地はある
付け焼刃は承知でひたすらオセロの戦術を勉強した
勉強してみると基礎のキソでも知らないことがたくさんあってびっくりした
なんでもいいから一回はタムラに勝たないと気が済まない
私はタムラの病室に押しかける
やつはパソコンを鬼みたいな目で睨みつけて何かをしていた
邪魔できる雰囲気では到底なくて、私はしょうもなく突っ立っていた
タムラにようやく気づかれたのは小一時間たったころだった
「また来ると思ってたぜ」
小一時間気づかなかったくせによく言うもんだ
「三日間なにもしてなかったわけじゃないよな」
私はうなずく
テーブルにはこの間からしまわれていないのだろうオセロボードが載ってた
今回は初戦からハンデをもらうことにした
私の黒番でゲームを始める
開始三秒で目の色が変わったタムラをつくづくと私は見た
タムラは笑いながら言ったけどたぶんほんとは死ぬほど悔しかったんじゃなかろうか
わずかに黒が白を上回った盤面を田村はじっと見下ろしていた
「もう一回だ」
タムラが言うままにもう一ゲーム戦う
タムラが白番、私が黒番をとって
結果はタムラの完勝だった
自販機で350ml缶を二つ買って、病棟の廊下のベンチに座って飲んだ
「タムラって絶対コーラなんて飲んじゃダメそうな体してるよね」
私はずっと思っていたことを言った
「飲んでも飲まなくてもどのみちダメだから関係ねーんだ」
「?」
「イチローが毎朝カレー食うのと一緒だ」
「そうなの?」
「そうだよ、毎朝カレー食って毎試合ヒット打ってんの」
「タムラの場合はそれがコーラなわけだ」
「そういうこと」
「でも飲むのもやはりよくないと」
「そう」
タムラはため息をついた
「俺ハタチになる前に死ぬからさ」
生まれて間もなくそれがわかって、タムラの親はタムラを病院に放り込んだ
手切れ金であるかのように高い金を払って
けれどそれ以来ほとんど病院に顔を見せに来たこともないらしい
生まれつき欠陥を抱えた心臓と、ガラの悪い勝負事好きの親父連中と、世界のどこにもつながるパソコンとに恵まれて、
タムラは病院で12年間すくすくと育った、のだそうだ
オセロをやり、コーラを飲み、話すことがあれば話をした
医者も看護師もいい顔はしなかった
回診のたびにずいぶん冷たくされたものだ
一人でいるときはオセロの定石を勉強し、iPodで音楽を聴いた
タムラ相手だといくら勉強してもしすぎにはならない
タムラのほうは片手間でやってたのかもしれないけども
私の入院生活はそんなふうに回っていった
その頃にはタムラのほうからも暇があると私のところにやってくるようになっていた
タムラは何が面白いのか私のリハビリの様子をずっと眺めていた
「歩けるようになるのか、お前は」
「いずれ、順調にいけばね」
「俺はめんどくさいから歩くの諦めたんだよね」
タムラが訊いてもいないのにそんなことを言うのは珍しい気がした
「俺ね、死ぬまでで一回、チェスでてっぺん獲ろうと思ってる」
「てっぺん?」
「世界一とかなんとか」
「本気?」
タムラは無言でうなずいた
読んでくれてる人いるのかな……
初めての話から離れ過ぎてて…
結構引き込まれてた
晩まで保守っとくよ
22時くらいに戻ってきますのでよろしければお付き合いください
その時がきたら狼煙上げるから待っとけ
分かった
お前いいやつだな
再びおつきあいくださる方ありがとうございます、またよろしくお願いします
狼煙の準備はばっちりだ
世界一、なんて響きがあまりに慣れないものだから私は面食らった
でもタムラはその当時すでにオンラインでは世界上位10%に入ってた
伸びしろを考えれば不可能とは言い切れないだろ、とタムラは冷静だった
自分でもよく分かってたと思うけどタムラの命はもって10年弱だ
だからこそやつは真剣だったし負ければ焦りもした
そう、やつは負けるのが本当に大嫌いだった
本当にときどき、50回に1回くらい私がオセロで勝つと、タムラは小一時間口もきかなくなる
「利かないんじゃなくて利けなくなるんだよ」って言ってた
負けたのがムカついてたまらないうえ、負けた試合の反省で頭がいっぱいになっちゃうんだって
やっぱりタムラと互角とか、それ以上の相手になってくると、タムラも負けが込んでくることがあって
そんなときタムラは個室にこもって出てこない
個室にカギがないのがかわいそうだなって、そういうときはちょっと思う
病院だから仕方ないんだけどね
一回だけ連敗期に入ったときのやつの様子を見たことがあった
それでぶつぶつ小声で何か言ってた
それこそ聞き取れないくらいの小声で
私はそれ以来負けが込んだタムラには近づかないようにした
励ますとか無駄なんだろうなって、タムラの焦点ぼけたみたいな目を見てたらわかったから
でも、励ませないのが悲しいとは思わなかったな
いずれ勝ち星がめぐってくるしか元気になる方法はないわけだし、そのためには早く立ち直るしかないって
タムラは自分が一番よく分かってたと思う
何もしてやれないのがつらい、なんて思わずに
「さっさと立ち直ってさっさとまた勝ちまくれよ」
って、心のなかで言っとけばいいってのは、私にとっても救いだった
私は3歩くらいだったけど歩けた
歩けてしまった
タムラに言ったら
「歩けるんだったら車椅子でも押して楽させてくれよ」
なんてぬかした
褒めるってことをてんで知らないのだ、やつは
でも車椅子押してあげられたらなとは内心ずっと思ってた
タムラのほっそい腕がステアリングを回すのを見てると、なんで私松葉杖なんかついてるんだろバカみたいって毎回思うのだ
だから
「いいよ」
って言って松葉杖ほうりだしたら、タムラのほうが珍しく焦りだして
そのまま歩き出したけど三歩も歩けずに私はころんだ
「バカたれ」
とタムラは言ったが声が優しくて私はうるせえ、と言った
松葉杖をつきながらだったけど私はひとまず退院した
退院の朝、タムラも玄関までちゃんと見送りに来てくれた
「くたばんないでね」
タムラは眩しそうな顔してうなずいた
それから私はタムラを一回抱きしめた
座ったままだからお腹のあたりにタムラの頭がきて
やつは私の腰のあたりにしがみつくようにしてしばらくじっとしてた
そうやって私の入院生活は終わった
長かったけれどこれが三年前の話だ
確かに納得いかないでもない
お前んちの親なにしてんの、って訊かれて私は答えたことがあったんだ
「うちは代々カンオケ職人なんだ」って
見積もりやら何やらの相談でしょう
一人で取り残された私は、もう勉強なんて手につかなくって
窓から見えるヒマワリをぼさっと見てました
季節は夏の初め
話の内容は聞き取れないくせに声だけが聞こえてきてなんか寂しかった
私は立ち上がってやつと向かい合う
「カンオケなんて、あんた」
タムラは穏やかに笑った
昔よりもやわらかい笑い方をするようになったな、と私は思う
反面、鼻筋とか頬の線とかはくっきりしてちょっとかっこよくなったな、とも思う
「半年」
「みじかっ」
私は思わず噴き出した
いやもう、逆に笑うしかないってこともあるのだ
タムラも「だよなあ」って笑ってたし
「帰りは送ってってあげなさいな」と母さんが言った
私とタムラは二人で外に出る
ほんとに夏の初めの初めなのに十分に外は暑かった
よく一人で病院からうちまで来たものだ
足首折ってなくてよかった、と思いながら、私は車椅子を押して歩いていく
電車を使うほうが早いのだけど、私は電車に乗らず、線路に並行する県道を歩いていくことにした
「あ?」
「まだやってんの? チェスも麻雀も」
「……やってるよ、オセロも」
「……勝ててる?」
「……ぼちぼち」
「ふうん」
私は横断歩道で道を渡って日陰をえらんで歩いていく
「……さっきも訊いたけどさ、なんでカンオケなんて作ろうって思ったの」
「えー」
タムラは少し考えこむ
「ケジメ」
私はタムラの言葉を繰り返す
「まあ、死ぬまで短い間だったけど生きてましたって、自分で納得するため、っつうか」
「ふうむ」
「せめて最後は人間らしく、ってな」
人間らしくったってなあ
フツーの人はもっと死ぬ前は、うまいもんでも食べたいとか墓でも作るかとか、そんなこと考えそうだけど
それにカンオケってちゃんとしたものを作ろうと思ったらそれなりに高くつくのだ
「麻雀で勝った金貯め込んだ」
「どんだけ巻き上げたのよ……」
「医者って金持ちなんだよ」
「……なんか、やな言い方するね」
「……そうだな」
道の先に大きな橋が見えてくる
トラックが排気ガスを巻き上げながら走り去ってった
病院が遠くに、小さな鉄の塊みたく見えた
橋の上にさしかかるといきなり風が強くなった
空が青い
下で大きな川がきらきら光ってる
私は風の音に負けないように声を張り上げる
「勝負してないタムラなんて、つまんないよ」
カンオケ一個でケジメだなんて
そんなこと俺が一番よくわかってんだ、というように、タムラは黙りこんでいた
やつは眩しそうな顔で私を見上げて黙っていた
三年前とびっくりするくらいおんなじ顔だ
「オオシマ」
「?」
「ありがとな」
タムラは険しい顔で言った
私はちょっとほっとした
「お見舞いきていい?」
「やばくなったときだけな」
「じゃあやばくなったら連絡して」
そう言って私は電話番号をわたす
「いつでもかけて、学校の授業中だって駆けつけてくるから」
タムラは黙ってうなずいた
私は「ありがとな」と言ったタムラの顔を思い出してみる
三年前のクソナマイキな頃の表情に、少しだけ戻ってた気がした
……まだ大丈夫だよな、あいつ
大丈夫じゃなきゃだめなんだ、しっかりしてくれ頼むから
私は夕方になっていく帰り道を一人で歩きながら、祈るような気持ちでそう思った
死んだじいちゃんもカンオケを作っていた
だから、たしかに私もいつかはカンオケ作りを継ぐのかなーって常々思っていなくもなかった
でもそれはなんとなくまだまだ先のことで
中学卒業してからかなー、とか
高校出てからかなー、とか
美大とか専門で彫刻の勉強とかしてからかなー、とか
はたまたカンオケ作りなんてやらずに一生終えるかなー、とか
まあ言ってみれば漠然と考えてた
でもそういうのって「いつ始める」とかじゃなくて、勝手にタイミングがきちゃうもんなんだろう
たとえばタムラがあと半年で死ぬとか、
タムラがもしかしたらまだちょっとだけ頑張るかもしれない、とか
そういうことで
工房のドアを開けたらデスクに座ってた母さんが振り返ってじっとこっちを見た
初めて見る母さんの表情だった気がする
私は、今までこんな真剣に誰かに頭を下げたことなんてなかったな、と思いながら
「私を弟子にしてください」
と、母さんに言った
これは私が初めて、カンオケを作ったときの話です
まだ脱いでたらどうかそのパンツをお上げくださいまし
でも母さんは私を弟子に取ったし、タムラのカンオケ作りを(手伝うとは言ったけど)私にやらせると言った
母さんもじいちゃんに弟子入りしたのは、母さんの母さん、つまり私のばあちゃんが病気に倒れたときだと話してくれた
余命いくばくもないとわかったとき、じいちゃんはばあちゃんのカンオケを何も言わずに作りはじめた
今の私とそう変わらない歳だった母さんがそのときにじいちゃんに弟子入りした、
その気持ちは今の私ときっと同じようだったんだと思う
大体の工程は、
デザインを考える
↓
それを材木に転写する
↓
線に合わせて絵を浮き彫りにする
↓
やすりをかける
こういう感じだ
「半年しかないからしっかりやりなさいね」と母さんは言った
大体の工程は、
デザインを考える
↓
それを材木に転写する
↓
線に合わせて絵を浮き彫りにする
↓
やすりをかける
こういう感じだ
「半年しかないからしっかりやりなさいね」と母さんは言った
大事なのは頭の中じゃなく描きながら考えることだと
母さんも言ったし私もそうだろうなと思った
学校には当たり前のように行かなくなって、私は朝から日が沈むまでひたすら描いた
絵なんて普段描かないから、写真を見たり人の絵を真似たり
何度も不安になった
「これでいいんだろうか」
「ほんとにちゃんとよくなってるんだろうか」
「そもそもタムラに合うデザインをきちんと選べてるんだろうか」
「三年も会うどころか連絡さえ取ってなかった私なんかが」
「不安になるのも仕事のうちだ」
と言った
余命いくばくもない人の、その余命と同じ時間で、いちばんいい仕事をすること
ない時間のなかでやれる限りのことをやること
余命半年なんて言われてる人は、明日死んじゃったっておかしくないから
完成までの時間が限られてる私たちの仕事は、誠実にやるなら不安になるくらいがちょうどいいんだって
根詰めっぱなしだったからさすがに私もくたくたで
ひさびさに息抜きついでに近所のコンビニに行くことにする
時計は22時を回ったくらいだった
夜の散歩ってなんだかわくわくするのだ
若い店員が一人でゆらっとレジに立っていた
私のほかに客はいなかった
トルコアイスと紙パックのジャスミンティーをカゴに入れてから、私は雑誌コーナーをぶらっとする
『文藝○○ 特集 棋士たちの系譜』
タイトルが目に入った
のを思い出しながら私はその特集のページをめくる
特集のメインは50年前くらいのとあるタイトル保持者と挑戦者の対談だった
もうどっちも80歳に近い人たちだ
若いときの写真なんかも載っていた
どうしてああいう人たちの若い頃の写真っていうとだいたいイケメンなんだろうか
私はなんとなくそれを思うと胸がちくりとした
「若い頃は勢いばっかりでどうも深みのない将棋ばかりしていましたね」
「不思議なもので歳を追うにつれて理屈で考える場面がどんどん減っていった」
なんて
タムラはもうあと少しで死んじまうのに
タムラが深みも熟練の勘もないチェスしかできずに死んでいかなきゃいけないんだとしたら、
それはどうしようもなく不公平なことに思えた
タムラがどこかの試合でぱっとした成績を残した、みたいな話も、その頃私の耳にはまだ届いていなかった
デザインの原画を拡大して、それを木材の上にトレースしていく
その作業を半日がかりでやってから、いよいよ彫刻刀を握ることになった
手本としてまず簡単なところを母さんが彫った
そもそも小学生が持っているようなゴムのグリップのやつとはわけの違う彫刻刀で、
母さんは氷の上を滑るみたいな滑らかさで、鉛筆の線の上をなぞった
私はもはやぽかんとしてた
「いきなりこうはできないけど、まあはみ出しちゃっていいところもあるから、そういうところからやんなさい」
あっさりと簡単に言う母さん
やはり親でもなんでも職人は職人、厳しい……
彫りの作業に入ってから、何がつらかったって言えば、肉体的な疲労が一気に増したことだ
もちろん手にマメができるとか彫刻刀握りっぱなしで手が痛いとか、そういうレベルのこともあるんだけれど、
第一に立ち仕事だから足腰は疲れるし、手先だけでなく腕や肩まできっちり筋肉痛になった
しかも、小学生の図工とかと違って人体レベルの大きさのものを扱うから、
結構単純作業が多いのもハードだった
音をあげるつもりはなかったけど、毎日風呂入ってご飯食べたら一瞬で寝られるくらいにはへとへとだった
左手の親指の付け根をザックリとやってしまった
慣れた頃が一番怖いなんて言うけど、慣れたつもりもないうちに事故ったのは正直つらかった
母さんはなんにも言わずに傷にタオルを当てて、そのまま私をタクシーに乗っけて病院まで連れていってくれた
病院では仰々しいくらいに傷口に包帯を巻かれてしまった
「数日ゆっくり休みなさい」
帰りのタクシーの窓におでこをひっつけて外を眺めてた私に、母さんは言った
「ゆっくり休んで、一回なんにも考えないで、頭をすっきりさせなさい
休んでる間のことは、私に任せていいから」
言われるまでもなく私は疲れ果てていたみたいだった
家に帰ると起きてるのさえつらくなって、私は自分の部屋のベッドでぐったりと眠った
起きたら部屋はまっくらで、枕元の時計が蛍光グリーンの針で21時を指してた
6時間も昼寝するなんてびっくりだ
出血したせいか寝すぎたせいかぼんやりしながら起きて、携帯を開く
「新着メール:2通」
部屋を出ながら私はボタンを押す
例えようのない不思議な空間?世界?で漂っているような、懐かしいような、いつか経験したことがあるような、たまらなく胸を締め付けられるような、でも心地よい、、、
キャッシュバックキャンペーンと言われましても、と思いながら私はほとんど読まずに削除した
もう1通は見たことのない携帯番号からのメッセージだった
「……。」
妙な胸騒ぎを感じながら私はメッセージを開く
Title:
本文:
でも私はそのときはっきり思ったんだ
「タムラからのメッセージなんじゃないか」
階段の下からは母さんが作った夕ご飯の匂いがしていた
私は階段を駆け下りてそのまま靴をつっかけ玄関を飛び出した
運転手はちょっと怪訝な顔をしてた
そりゃそうだよな、22時近くに中学生が一人でタクシーなんて
そう思いながらも私は「○×総合病院まで」と行先を告げた
タクシーはゆっくりと夜の道を滑り出すように出発した
外の街の光を見ながら私はタムラのことをぼんやりと考える
「親戚からすぐ来てほしいと連絡があった」と嘘をついた
まもなく看護師がドアを開けてくれた
「どなたのご親族ですか?」
私はタムラの名前を言う
「小児病棟の503号室だったと思います」
看護師はしばらく名簿のようなものを調べながらしきりに首をひねっていたが、やがて
「503号室、ですか?」
と訊いた
いよいよ私は頭がおかしくなりそうなほど不安だった
昔いた小児病棟から北部病棟というところの最上階に移っていた
私は看護師から受け取った面会証を手に持ったまま走っちゃいけない廊下を走った
病室の前に立ったとき私はあらためて夜の病院の暗さを思い知った
足元の蛍光灯に青白く照らされた廊下が左右にどこまでも続いてる
私はタムラの病室のドアをノックした
私はもう耐えられなくて、ドアのとってに手をかけた
あっさりとドアが開いて、中から白い光が漏れてくる
「あ?」
ベッドの上にあぐらをかいたタムラがそこにはいた
「なにしてんのじゃないわよ」
目が涙ぐんできた、いかんいかん、と思いながら私は言いたいことだけ言おうとする
「ばかじゃないの、心配かけて」
「だから、何言って……」
「あんたが変なメール送ってきたんじゃないの!」
「だ、なんのことだよ、メールって」
タムラは本気で意味が分からないという顔をしていた
私も相当意味が分からない顔をしていただろうから、傍から見たら相当ヘンな光景だっただろう
私は携帯の画面を開いてタムラに見せる
「……こわ」
「そりゃこっちのセリフよ」
いっきに気が抜けて、私は折りたたまれていた丸椅子をひっぱってきてタムラのベッドの横に座った
送信日時をあらためて確認したら
「15/08/13/03:24」
となっていた
「寝ぼけて送ったのかな……」
タムラは寝ぼけたようなことをほざく
寝ぼけるなら立場をわきまえて寝ぼけやがれという話だ
タムラが開いていたパソコンの画面にはチェスの盤駒が表示されていた
「もしかして試合中だった?」
「や、そうじゃなくて」
タムラはおもむろにパソコンをシャットダウンする
「スコア見てたんだよ」
「スコア?」
「戦いの記録、みたいなやつだよ」
ふうん、と言いながら私はシャットダウン処理をするパソコンの画面を眺める
スコアの先攻が”Special Thanks”というタムラが昔から使っているアカウント名になっていたのを私は確かに見た
「え?」
タムラは包帯ぐるぐる巻きの左手を指さす
「また骨折したのかよ」
「ちがうわ」
「じゃあなんかで切ったとか」
「まあ……そんなとこ」
私は言葉を濁す
タムラはそれ以上訊かなかった
私はふっと思いついて、
「一勝負しよっか」
と言ってみた
タムラは難しい表情でボードを眺めていたが試合が始まるといつもどおり刺すような真剣なまなざしになった
昔と同じだけハンデをつけたから昔と同じようにちょろっと負かされるかと思ったら、
意外と互角くらいのゲームになってしまって私はちょっと戸惑った
あげくにはなんと最終的に僅差で私が勝ってしまった
唇をかんでいるタムラに私は何を言ったものかわからなかった
「もう一試合だ」
とタムラは絞り出すように言った
今度は一試合目が嘘のように、ちゃんと容赦なくボコボコにされた
窓の外にはかすんだ白い月が出ていた
私はそれを眺めるタムラの横顔を眺めていた
「オオシマ」
「?」
「ちょっと、右手見せてみろ」
私は言われるがままに右手を差し出す
ここのところの作業で私の右手はすっかりたくましくなってしまっていた
指はマメとタコだらけだし皮はところどころすっかりカチカチだ
タムラはそれをしばらくひっくり返したりして検分していた
それからゆっくりとため息をつき、
「……今日はもう帰れ」
と、おもむろにそう言った
ゆっくり体を慣らし勘を取り戻すように、私は一日一日作業時間を延ばしていった
私のいない間に母さんは作業をところどころ進めてくれていた
とりわけ私には難しい細かい部分がきれいに仕上げられていた
ありがたさが身に染みた
夏が終わり、少しずつ風に涼しさがまじりつつあった
日が短くなり、しだいに冬に向かっていく
私にはそれが、世界がまるごと刻一刻と夜に向かっていくかのように思えた
「ランキング戦 一転して混戦に」
世界で数百万人が利用するオンラインチェス対戦サイト『ChessUnivers.com』の定期順位戦。
残すところ二週間となり大詰めを迎えつつあるここにきて、ランキング上位争いにおいて波乱が生まれつつある。注目すべきはこの波乱の種が正体不明の「ジャパニーズ」である点だ。
謎の「日本人プレイヤー」によってランキング表がどう塗り変わっていくかに注目が集まっている。
今なお順位を上げつつあるアカウント”Special_Thanks”が彗星のごとく登場したのは一週間前のこと。
それまで四〇〇位前後を浮沈していた”Special_Thanks”氏は、突如グループ内勝率八割の驚くべき好成績をあげ、一躍上位におどりでた。
ランキングを上げ二桁台にまで登りつめたのちもトッププレイヤー層に勝ち越しつづけ、ほぼ確定的と見られていたトップテンの勢力図を大きく塗り替えている。
もっとも”Special_Thanks”氏がここから全勝したと仮定しても、勝ち点の計算方式上逆転優勝には至る可能性は残念ながら皆無。
優勝の可能性がない中で戦況を大きく変えつつある氏は言うなれば「トリックスター」として戦場を荒らし回っているわけである。
やにわに現れ片っ端から黒星をベタベタとつけていく、上位層からすれば迷惑この上ない話とも言えるかもしれない。
インターネットの匿名掲示板においても”Special_Thanks”氏に関してはさまざまな憶測や噂が飛び交っている。
最も有力な説は氏を帰化日本人の若手ホープではないかとするものであるが、説によっては「”Special_Thanks”非日本人説」を唱えアジアリーグの現役トッププレイヤーの個人名を挙げるものもある。
しかし「古風と言えるほど堅実な序中盤の指し回しを特徴としつつも抜群のセンスで盤面の微かな「破れ目」を看破しそのままねじふせる力強さはある意味新世代的とも言える」
という指摘にはたしかに説得力があり、「”Special_Thanks”氏若手ホープ説」は有力と言えるかもしれない。
残すところ二週間まで来た『ChessUnivers.com』ランキング戦。大詰めに向けますます分からなくなった結果に期待が高まる。
母さんが出てしばらく受け答えをしていたのを、私は聞くともなく聞いていた
「タムラくんさっき亡くなったって」
最後の仕上げというのは、本当の最後にしかできない
タムラが死んで、私は自分の中で決定的に何かが変わったのを感じた
その何かを感じながらじゃないとできない仕上げを、私はタムラの葬儀までの三日間をかけてやった
タムラのカンオケに私は紋白蝶を彫った
どこまでも続くキャベツ畑の上を飛び交う、数えきれない紋白蝶だ
キャベツ畑のどこかにタムラがいるように私には思えた
鱗粉のように光りを振りまきながら
葬式に出ることもなければ墓参りに行くこともない
だから私はタムラの葬式にもいかなかったしやつの死に顔がどうだったのかも知らない
数日して私は病院から呼び出された
タムラが私に遺書を残していたと
「Special Thanks: Mishio OSHIMA」
短い遺書だった
私にはそれで十分だった
別に飛ぼうとかそんなことを考えてるわけじゃない
ただここからだと火が焚けるのがよく見えるのだ
川べりの火葬場で今燃えているのは私が作ったカンオケとタムラの肉体と魂だ
朝方から燃えているのに日が沈みかけた今も空を照らすように火は燃えている
白い煙が無数の紋白蝶の群れのようにインディゴブルーの空に噴きあがっていく
私はいつまでもいつまでも火が消えてしまうまでそれを見ている
最後まで付き合ってくれた人、本当にどうもありがとうございました
ほんと長くなっちゃったな・・・
先月末に妻を膵がんで亡くしました。
業者に任せたので、棺桶に対して無知でした。
後悔は無いですが、もっと早くあなたのような人と巡り合えていたらと思います。
なんか文章に引き込まれたよ
文才あるわぁ
創作だとしても面白かった
同士みたいな感じ?
>>154
実は初恋の相手が幼稚園の先生なんだけど(
そのときに抱いた感情とは少なくとも違うかなあ
「同士」と言われるとそれなりにピンとはくるんですけどね
でもタムラとの関係みたいのを恋愛と呼べるんなら、それも悪くないなとは思います
面白かった
文章に引き込まれたよ
乙でした。